日々の逃避

ある大学教員の単なる独り言です。研究室を立ち上げた2006年10月からずっと書いています。

研究室の恒例行事 「4年生のプレゼン大会」

今日は、うちの研究室の毎年5月の恒例行事、「4年生によるプレゼン大会」を開催してみた。これは、自分たちの研究テーマについて自分の力でパワポを作って、10分ぐらいプレゼンして、上級生たちと指導教員による「質問攻め」にあう会だ。もう、ひたすら「質問攻め」。こっちは素人のふりして、「それは何?」「なんでその実験するの?」「その図がわからない」などと質問攻めにする。毎年の傾向だと、1人あたり「発表10分+質疑応答50分ぐらい」(今年の4年生は4人いるので、トータルで4時間ぐらい?)。4年生たちにとっては大変な行事らしいけれど、自分は研究室を運営する上で、この行事をものすごく重要視している。

4年生たちにはだいたい1ヶ月ぐらいかけて準備をしてもらう。そして、上級生たちには、パワポの仕上がりについて事前にほとんど口を出さないようにお願いしている。目指しているのは、

「4年生が、『自分の研究テーマの背景、何が問題点なのか、どんな実験を進めるのか・・・』を考えながら、ほぼ独力でパワポを仕上げて、発表練習をしっかりとした上で発表する」

ということだ。このプレゼン大会を経験すると、いろんなことを自分で調べるようになるし、当日の発表によって「どこが他人に伝わりにくいか」がわかるし、パワポやイラスト作成のためのソフトにも慣れる。

このプレゼン大会で自分がいつも伝えるようにしていることがある。それはすごく簡単に言ってしまえば、

「図や文字を適当に漠然とレイアウトしたパワポはダメだよ」

となる。自分の話したい流れに沿って図や言葉を配置しているか、そもそもその図や言葉は適切か、矢印を漫然と使っていないか ・・・ パワポの1枚にはその人の「フィロソフィー」があってしかるべきだと思う。

パワポの問題点は、適当に図を配置しても「それらしく」見えてしまうことだ。でも、図の配置、見せ方、矢印一つだって、その使い方にはフィロソフィーが欲しい。例えば、矢印。A→Bなら、「Aが原因でBになった」「(時系列として)AがBになった」という内容のAとBが並ぶべきだ。でも、雑多な文字や図を、意味なく「→」でつなげて配置してしまっているパワポが世の中には多すぎると思う。自分がこれを完璧にできているとは思わないけれど、それでも見せ方にフィロソフィーのあるパワポ作りを心がけるようにしている。でも本来こういうことは、ビジュアルプレゼンテーションとか論理的思考法とか、そんな感じの講義で大学全体で教えた方がいいと思うんだけど。

今日のプレゼン大会は、14時からスタートした。4人が発表して、終わったのは19:00ごろ。トータルで5時間。4年生の4人全員、しっかりと発表していた。発表後は4人ともぐったりしていたみたいだけど、今日の経験はきっと今後活きてくると思う。おつかれさまでした。その後、電車に乗って某駅へ移動して、20:00ごろから打ち上げ。今日は鯛しゃぶ。

 
 
 
 

こんな感じ。



M2のFkくんは今日も途中からタンクトップ。着ていたシャツは・・・



得意げなTdくんのフードの中にありますよん。

2次会も飲みに行って、帰宅したのは1時。